COLUMNPosted on 2022/03/03

ドイツ・クアオルトの起源と歴史 Part.4

現代のドイツ・クアオルトには、それぞれの街ごとに固有の歴史が存在していますが、多くの街に共通していることは、かつてそこが「温泉街」として有名であったということです。そのため現代でも多くのクアオルトが「天然泉の医療的効能」を中心とした医療用のリハビリ等の機能も兼ねた浴泉施設を中心として成り立っています。

この「天然泉の医療的効能」に関する現代的な統計的調査や分析、理論等の医療メソッドが構築されたのは、もちろん歴史的には近現代以降のことになりますが、それ以前の時代にも「天然泉が病を癒す」という発想自体は存在していました。

今回は、特に古代のギリシアやゲルマン領域に関するそういったテーマを持つ文献から、泉に対する信仰というもののあり方を見て行きたいと思います。

 

神話と水の儀礼:古代ギリシアの神々の泉

ギリシア神話に関する文献のなかでも最も時代が古いもののなかに属するとされる『ホメーロス風讃歌(Homeric Hymns)』は、紀元前7世紀頃の古代ギリシアの詩人ホメーロスと同じ時代の人々によって書きまとめられたとされている、ギリシアで信仰されていた神々への讃歌詩です。

なかでも女神アプロディーテーへの讃歌において、彼女の生誕の地でもあるキプロス島のパポス(現在のキプロス共和国パフォス)にある神殿(*1)の泉について描かれています。そこはアプロディーテーの聖域であり、芳しい香りで満ち溢れた神殿の中にある「恵みの泉(Χάριτες)」に入浴(*2) すると、肌が美しくなり体が傷つかなくなる(*3)ということが語られます。(*4)

 

女神アプロディーテーはローマ神話でいうところのヴィーナス(ウェヌス)にあたり、美や芸術、愛、豊穣、富などを象徴する女神でした。有名どころで言えば、ボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」やギリシアのミロス島で発見された「ミロのヴィーナス」、またはルネサンス期のドイツにおける代表的な画家のひとりであるクラーナハの「ヴィーナス」、ドイツ文学で言えば中世の吟遊詩人タンホイザーの伝説をもとにした、特にヴァーグナーの戯曲が有名な『タンホイザー』の舞台のひとつとなるヴェーヌスベルク(ヴィーナスの山)など、たくさんの芸術作品の題材となっている象徴的な女神でもあります。

 

例えば、現代のドイツの代表的なクアオルトのひとつであるバート・ヴェリスホーフェンは、クナイプ療法で有名なセバスティアン・クナイプの修道院とともにクアオルトの成立に非常に大きな影響を与えた歴史を持つ街ですが、その街の水浴施設テルメ・バート・ヴェリスホーフェン(Therme Bad Worishofen)のロゴマークはボッティチェッリの「ヴィーナスの誕生」を模したデザインになっています。

ヴィーナスは、前述のように水や豊穣、健康などに関する女神であるとともに美しさや芸術の楽しみなども象徴する存在です。クアオルトが、水を用いた健康という主要テーマはもちろん、観光活用できる自然や建築の景観やレジャーなど、芸術や運動の「楽しみ」もまたその中に取り入れられている象徴だとも言えます。

 

 

また同じくギリシア神話の中心となる女神ヘーラーに関してもこれと似た泉の神秘の話があります。ホメーロスの頃から時代は飛びますが紀元後2世紀頃のギリシアの地理学者・旅行家であったパウサニアスによれば、ナウピラ(現在のギリシア、ナフプリオ)には海の神ポセイドンの聖域があり、そこにあるカナトス(Κάναθος)の泉で女神ヘーラーが毎年入浴し、自身の体を再び乙女(παρθένον)にする(若返らせる)、ということが語られています。

それに続いてパウサニアスは、この地域の住民たちにのみ伝わっている、ヘーラーの沐浴の儀式を模した秘密の儀式(τελετή)の存在について語ります。(*5)

 

古代ギリシア文化の重要な要素として、このような口伝のみで伝えられ、決してそこで見たことや知ったことはむやみに口外してはならないとされる秘密の儀式、すなわち秘儀と呼ばれるものが存在していました。その存在そのものは、秘密のものとはいえ当時の古代ギリシアの様々な著作のなかで存在が語られており、後世の多数のヨーロッパ文化や思想・文学、場合によっては現代の都市伝説的と呼ばれる考え方に出てくる概念に至るまで、影響を与え続けているものだといえます。

この秘儀は古典ギリシア語でミュステーリオン(μυστήριον)と言い、現代のミステリー(mystery)の語源です。ミュステーリオンは「(目などが)閉じている」と言うことを意味する古典ギリシア語の動詞のミュオー(μύω)を語源とし、いわば特定の者の集団間だけで伝えられる儀式や知識の伝授などのことをさします。古代ギリシアにおいて多くは、ギリシア神話の神々に関する逸話とその解釈がその中心的話題であり、そこでは象徴学的な独自の哲学が様々に構築されていきました。部分的には、ギリシア神話とはある意味では民俗風習・儀礼作法の教科書のようなものでもあり、また世界の成り立ちや性質を説明する哲学でもあったわけです。

このカナトスでのヘーラーの伝説にもそれを模した秘儀の儀式と象徴学があり、その儀式においては、特定の神官たちの間でのみ行われる木の像や板などのヘーラーの象徴となる彫刻を年に1回沐浴させる儀式などが行われていたとのことです。

 

こういった儀礼は主に、いわゆる民俗学的には、自然を司る神々を正しく祀ることで自然災害などの災いが降りかからないようにするという目的を持っていました。海や水、またはそういった事柄に関する運命を司る神々へと儀礼や捧げ物などを用いた神聖な祭事によって、海や水の災害を防ごうとする考え方です。

例えば、日本神話で言えばスサノオノミコトは水害と疫病を司る神であり、かつて水害によって被害を受けた場所にスサノオノミコトを祀る神社が多く建てられていたり、または逆にそのような災害でも被害を受けなかった場所にある種の目印として神社が建てられているようなこともありました。古代ギリシアの神々への信仰、そしてこれから紹介します古代ゲルマンの風習などは実はこういった日本の神道の発想と共通しており、文化的要素としてはもちろん全く違うところもありますが、神々を祀るという部分においては古代のこれらの文化と日本文化との間に意外と親和性があります。

 

『ゲルマニア』の泉の女神とクアオルト

前述のように、ここで紹介したような古代ギリシアの水を用いた民俗信仰文化の風習とよく似たものは古代ドイツにもあります。紀元後1世紀頃の古代ローマの歴史家タキトゥスが、現在のドイツ、ポーランド、チェコなどの領域を含む当時のゲルマン領域の文化についてまとめた著作である『ゲルマニア』では、当時の古代ドイツ(ゲルマン人たち)の文化について語られていますが、その中にこのヘーラーの儀式と似た風習が見受けられます。(*6)

 

タキトゥスの『ゲルマニア』では、ゲルマン人たちの様々な文化、生活、儀礼、信仰などが当時の視点で紹介されています。ゲルマン人とギリシア文化との関わりという意味では、当時のアスキブルギウム(Asciburgium)、すなわち現在のドイツ、メールス(Moers)にあるアスベルク(Asberg)の街にあたるその地域にギリシア文字の碑文の存在していたことや、古代ギリシアの英雄たちの伝説がゲルマン領域に届いており、それらの人物たちがゲルマン人の間でも崇拝されていることなども紹介されています。(*7)

 

そのなかでも前述したヘーラーの儀式とよく似た古代ゲルマンの信仰として大変興味深いのは、豊穣の女神ネルトゥス(Nerthus)に関する泉の儀式を用いた信仰です。タキトゥスによれば、ゲルマン領域の特に北のバルト海沿岸から現代のドイツやチェコ、ポーランドなどを流れるエルベ川およびポーランドのヴィスワ川流域までの領域を主として定住するスエービー族(Suebi)の人々の多くがネルトゥスに関する信仰を持っており、そこでは「神聖な森と泉」が非常に大きな役割を果たすことが記されています。

 

このスエービー族は森を神聖視しており、例えば特別な参入儀礼を経た神官でなければ決して入れない神聖な森が存在し、そこでは共同体の未来の動きを決定する重要な卜占、すなわちすべての人間たちの運命を決定している神々と交流する儀式などがおこなれていました。

なかでも、バルト海または北ドイツのとある島には神の聖域としての森が存在しており、そこには普段は布で覆われた女神ネルトゥスの引き車(vehiculum)すなわち日本で言うところのお神輿がありました。その引き車は特別な神官のみが触れることを許されており、神官は引き車に女神が降りてきたことを感じ取ると、雌牛にその引き車を引かせて女神の意のままの方向へと出発し、神官はそれに付き添うことになります。

その引き車が神聖な森を出て街をめぐるとその訪れた街はすべてお祭りとなり、引き車の女神が「人々との交流に飽きて帰る」までそれは続きます。そしてその間は、決して戦いは起こらずすべての武器が蔵の奥にしまい込まれることになります。最終的に、このお祭りの儀礼が終わると、これらの引き車が、タキトゥスによればいくらかの奴隷たちを含む犠牲とともに神聖な湖に沈められ、その瞬間に湖に沈められた奴隷たちはそのとき最も崇高な秘密の儀式を目撃するといったことが書かれています。(*8)

 

 

この『ゲルマニア』で語られた古代ゲルマンの風習で象徴的な文脈は実に多数あります。神官が神を神輿におろし、街がお祭り騒ぎになるという風習には、日本の神話・神道や祭りと結びつく民俗文化を思い起こさせるものがあり、それは実のところ古代のシャーマンというキーワードで古代世界がつながっていることに起因するものですが、それに関しては後のコラムでも再び取り上げたいと思います。

 

ここでタキトゥスが語ったネルトゥスという女神は、北欧神話の海の神ニョルズ(Njordr)ではないかとも言われています。またここで語られているネルトゥスの神聖な森のある場所についても数多くの議論があり、その候補地としては、現在のドイツだけでなくデンマーク、ノルウェーなどにかけて海の島や湖水地方など様々な場所が挙げられています。特に有力な候補地はドイツとデンマークの国境線付近、バルト海のデンマーク領のアルス島(Als)です。その地に現存する「聖なる湖」と黄金の神輿をそこに沈める伝説、古代の巨石群などから、候補地として挙げられています。(*9)

 

また、そのほかの候補地としては同じくバルト海沿岸の島であり、ドイツのメクレンブルク=フォアポンメルン州にある、ドイツ国内で最大の島であるリューゲン島(Rugen)もまた、その場所の候補に上がっています。

 

このリューゲン島には、ドイツでクアオルトの定義・認定を行っているドイツ治療湯治場連盟(Deutscher Heilbädeverband e.V.)に認定されているクアオルトであるビンツ(Binz)の街があります。

ビンツの街は、すでに1875年頃からゆうに現在まで250年近くの海水浴リゾート地としての歴史がある街です。かつての小さな漁村だった街がその環境の良さと19世紀の郊外の休暇地ブーム、そして道の整備などの出来事が重なり、リューゲン島で最も大きな観光地へと変わっていった歴史をもっています。ビンツの街の特色は、後述します海洋性気候の環境資源を用いたクアオルトであるとともに、近代にリゾート地として建てられた建築の美しさなどの「芸術性」もまたひとつのクアオルトとしての特徴となっています。(*10)

 

このビンツをはじめ、ドイツの北部、バルト海沿岸にあるクアオルトは、いわゆる海辺の気候や環境資源を利用したタラソテラピー(海洋療法)型のクアオルトが中心となっています。

タラソテラピー型のクアオルトには、ドイツ中のクアオルトで広く行われているウオーキングや転地療法(気候性地形療法)を特に干潟や海辺の地形に活用したもののほか、海の塩水のエアロゾルの吸入療法や海泥療法(ファンゴテラピー)など海の資源を用いた海洋性の環境だからこそできる療法が特徴的で、こういった海の療法は、特に皮膚疾患や呼吸器系の疾患などに効果が期待できるとされています。

 

 

このように、かつての古代の治療の泉の伝説の伝承からはじまり、後には近代的な手法で治癒の力を持つといわれていた泉のミネラル成分を分析したことで、古代からの「泉の伝説の地」は近現代にかけてその方法論上での「健康リゾート地」に変わり、それらの街が現代のクアオルトにまでつながっていきました。

 

ドイツ治療湯治場連盟では、天然泉のクアオルトのほか、気候療法・転地療法としてのクアオルト、洞窟の環境を用いた鉱物(ペロイド)療法のクアオルト、前述のタラソテラピー型のクアオルト、クナイプ療法のクアオルトなど、実に様々なクアオルトの定義と条件が定められています。そのなかでもおおよそほとんどのクアオルトの条件に常時不可欠なものとして、健康に寄与すると十分認められる測定値を満たす「自然環境の品質の良さ」およびそれを維持するための「環境保護」とが条件として明記されています。

 

今回見てきたような、古代ギリシアや古代ゲルマンの神秘の泉、治療の泉の伝説にはある種の「禁域性」があります。いわば古代信仰においてはその「禁域性」は自然に対する強い畏敬の念によるものであり、結果的にはある意味では現代でいうところの「環境保護」「環境の品質維持」が行われていたとも言えます。

こういった古代の発想が、近現代にひとつのリバイバルとして再び省みられ、近現代的な合理性とともにできあがったものがクアオルトであると言う歴史的な位置付けも可能だといえます。

 

注釈

(*1)日本語では「神殿」と訳されることが多いこの箇所の言葉の古典ギリシア語の原語は、前回のコラムでも少し話した τέμενος(テメノス)すなわち聖俗が「区切られた場所」を意味する言葉です。古代ギリシアの神殿というと、日本語ではパルテノン神殿などのように石造りに大きく崇高なデザインの建物のみを思い起こさせますが、本来その規模は実に様々なはずで、時代や場所によっては同じ「テメノス」でもパルテノン神殿のような規模のものもあれば、日本の地方の神社、またはもっとシンプルに、森のなかにただ捧げ物のための祭壇があるだけのような自然崇拝の様相のものもあるかと思われます。

(*2)ここで原典で用いられている「体を洗う」という言葉には古典ギリシア語でλούειν:ローマ字表記でlouein(ルーエイン)という動詞が用いられています。このloueinというギリシア語は、ラテン語ではlavāre(洗う)になり、現代で言えば英語のlavatory(トイレ、洗面所、手洗い所)などと同じ語源を持つ言葉です。

(*3)ここで「体が傷つかなくなる」という言葉は原典ではἀμβρόσιος:ローマ字表記でambrosios(アムブロシオス)という形容詞が使われています。am(否定)+brotos(死ぬ)という意味で「不死なるもの」という意味があります。
ここでは形容詞として使われていますが、女性名詞ではアンブロシアとなります。アンブロシアとはすなわち、ギリシア神話に登場する神々の食べ物であり食べると不死になる食べ物のことでもあります。
ちょうど、このギリシア語のbrotos(死)の部分は、その語源として印欧祖語でmr̥tósと言い、ラテン語のmors(死)、フランス語のmourir(死ぬ)、英語のmurder(殺害)やimmortal(不死)等、およびサンスクリットで√mṛ(死ぬ)などと同じ語源にあります。
サンスクリットのこの言葉を否定形をつけて名詞化するとamṛta「不死なるもの:アムリタ」となります。このアムリタは、ギリシア神話と同じく、飲むと不死になる神々の飲み物とされており、アンブロシアとの関連が見受けられます。

(*4)『ホメーロス風讃歌』to Aphrodite, HH5. 58 – 64

(*5)パウサニアス『ギリシア案内記』2. 38. 2-3

(*6)この『ゲルマニア』という著作は、「当時のローマ人にとってのゲルマン人」という目線であることなどからある種の偏見や情報の不正確さなども指摘されていますが、古代のドイツ文化を知る上では非常に興味深い文献です。
基本的には、古代ドイツ文化というものはこの古代ギリシアほど文献的に残っているものは多くなく、わずかに残っているものでも紀元後8世紀程以降などが主流になり、現在このギリシア文化について話しているような紀元前8世紀から紀元後2世紀くらいまでの時代においてドイツの古代史はもっぱら考古学の領域になります。文献的な要素が少ないということは、古代ドイツが基本的に記す文字や文献の文化というよりも、人から人へ音や韻律、口語で伝える詩歌と口承の文化だったということでもあります。

(*7)タキトゥス『ゲルマニア』3

(*8)タキトゥス『ゲルマニア』39-40

(*9)Jens Raben, Kan Als være „Nerthus-Øen“? En lille Betragtning i Henhold til Tacitus’ „Germania“ Kap. 40. In: Fra Als og Sundeved, 10. Heft (1936), 93–105頁、Jens Raben, Historier og Sagn fra Als og Sundeved. (Fra Als og Sundeved, Band 75). Sønderborg 1998, 44頁、および参考:ドイツ語版wikipedia – Nerthus (https://de.wikipedia.org/wiki/Nerthus)

(*10)参考:メクレンブルク・フォアポンメルン州温泉協会 – ビンツ(https://www.mv-baederverband.de/de/kur-und-erholungsorte/seebaeder/ostseebad-binz)、ビンツ湾観光協会(https://binzer-bucht.de/)など

山川 淳生

(株)日本クアオルト研究所・研究員
2011年多摩美術大学卒業、2013年成城大学大学院修了、2016年成城大学大学院博士課程後期単位取得満期退学、2016-2020年首都大学東京(現:東京都立大学)非常勤講師
研究論文等:研究ノート『ルドルフ・シュタイナーの神話・寓話観から』『古代思想は何処へ行ったのか』『ゲーテと占星術、想像力とポエジー』紀要論文『ゲーテの『秘儀』とその探求、及びシュタイナーの解釈』など