COLUMNPosted on 2022/10/04

ドイツ・クアオルトの起源と歴史 Part.6

医療の歴史と生命観

 すでに過去のコラム等でも書きましたが、先史時代の人類やネアンデルタール人などには、入浴、福祉、埋葬などの文化的習慣があったと推測が可能な痕跡がいくつも残っています。
 他にも、イタリアで発見された14000年前の人骨や同じくパキスタンで発見された約7500年前から9000年前とされる人骨からは歯の外科手術跡が確認されており[1]、スロベニアでは6500年前に蜜蝋で作られた、生きている人間の治療用に使われたと思われる歯の詰め物なども発見されています[2]。その他、約50000年前のネアンデルタール人の骨に残る腕の手術跡[3]など、外科手術的な痕跡は複数残されています。このように、なかば経験論的な医学は有史以前からすでにはじまっていることが見て取れます。

 

 他にも、薬草や泥土などの自然の産物を用いた、部分的には現代に用いられている薬にもつながる医療が、おそらくは経験論と口伝などでつくられていた痕跡もあります。約50000年前のネアンデルタール人の骨の歯石をDNA分析した研究などから、現代でも鎮痛剤として用いられるアスピリンの成分でもあるサリチル酸(salicylic acid)や抗生物質ともなるアオカビ(penicillium)などの成分が見つかり、植物を通してそれらを意図的に摂取していたことがわかっています。[4]

 

 また、アルプス山脈で発見された5300年前のミイラ化した遺体(アイスマン)はいくつかの「古代の薬」を携帯していました。アイスマンはカンバタケ(Birch fungus)というキノコを携帯しており、そしてアイスマンの腸内からは鞭虫(Trichuris trichiura)の寄生が確認されました。このことから、アイスマンはこの寄生虫による腹痛や下痢の症状を持っていたことと、同時にカンバタケの成分を駆虫薬として用いていたのではないかということがわかりました。[5]
 また同じく泥土なども石器時代にはすでに傷の治療や皮膚疾患などに使われていたとされています。現代のクアオルトでも、海や山のミネラルを用いた泥土は皮膚疾患などを中心に治療に用いられています。[6]

 

古代エジプトとギリシアの医学の伝説

 有史以降の記された医学の歴史のうち最も古いもののなかには、古代エジプトのものがまず存在しています。古代エジプトの医療に関するパピルスには、エーベルス・パピルスやエドウィン・スミス・パピルスなど、紀元前1500年頃やそれよりも更に古い時代にまで遡るものなどが見つかっています。それは解剖学、病理学、外科手術や精神障害などの医療に関する文献であると同時に、病を退散させる呪文が書いてある呪術的側面もあり、または当時の生薬、植物や食物に関する効能などについて書かれた薬草学の文献の最も古いもののひとつでもあります。[7]

 

 古代エジプトにおいて医療が盛んであったことは、隣接する文化圏である古代ギリシアの著名な文献などにも現れています。ホメーロス(紀元前8世紀頃)の『オデュッセイア』には以下のように書かれています。

 

 ゼウスの娘であるヘレーネーはそこで、彼らが飲んでいるワインに何らかの生薬を入れた。その生薬[8]によって、皆が苦しみや気に病むことを忘れることができた。(中略)
 ゼウスの娘(ヘレーネー)はそのような素晴らしい良薬を持っていたが、それらは(エジプト王)トーンの妻であるポリュダムナから送られたものであった。エジプトでは、広大な土地に薬草が栽培され薬がつくられている。多くは混ぜ合わせることで良薬となるが、有害なものとなるものも多くある。エジプト人たちは他のどの人類よりも賢くて知識と技術があり、皆が医者でもある。というのも、エジプト人たちは神々の治療者でもあるパイアン(Παιάν)の種族であるからだ。[9]

 

 また同じく、エジプトの古代ギリシアの歴史家であり「歴史の父」と呼ばれるヘロドトス(紀元前5世紀頃)の著作『歴史』にもエジプト人の風習、特に水を用いた衛生感覚や、医療に関することなどが多く描かれています。

 

 (エジプト人たちは)とりわけ、他のどんな人々よりも神々に敬虔な人々であり、その自らの風習に忠実である。彼らは青銅のコップを使ったら毎日洗い拭き取っている。一部の人たちだけでなく、皆がそれをしているのだ。また彼らはいつも洗った麻の服を着ている。(中略)
(エジプトの神官たちは)毎日昼と夜にそれぞれ、冷たい水で水浴をする。他の風習もまた、言葉にしきれないほどの数が存在している。[10]
 エジプト人たちが体系化したものには以下のようなものもある。それぞれの月と日が何らかの神々に呼応していて、生まれた日によってその者がどのように生き、どのように人生を終え、どのような人格になるかが決まるとされている。この考え方はギリシア人たちの間にも詩や文学作品などで表現されている。エジプト人たちは、他の民族よりもずっと多くの予兆を見つけてきている。彼らは予兆となることがあると、よく観察し書き留めておくのである。そして同じようなことが起きた場合、同じような結果になると考えているのだ。(中略)
 医療は様々に分化されており、それぞれの医者がひとつの自分自身の専門を担当し、他の病気は診察しない。そのためそこらじゅうに医者で溢れかえっている。眼の医者もいれば、頭の医者、歯の医者、腹部の医者、またはあまり聞いたこともない病気に関する医者などもいる。[11]

 

 このように、古代のギリシアの文献にもエジプトの医療の盛んさや衛生観念に関する叙述が多く残されています。古代エジプト人たちは、ある種神々への信仰上の儀礼・風習として、水で体や服、食器等を洗う清潔さと衛生面に関する風習を持っていたとのことですが、ここにもある種の累積された経験論的な病気や衛生に対するアプローチが見てとれます。

 

 

 これらの医学や薬草学は、のちに古代ギリシアの「医学の父」である紀元前4世紀頃のヒポクラテス、紀元後1世紀頃の薬草・生薬の効能に関する辞典的な書である『薬物誌』のディオスコリデス、紀元後2世紀頃の医学者ガレノスなどに通じて行きます。
 過去のコラムにおいて、古代ギリシアの医療寺院であるアスクレペイオンに関しても見ていきましたが、そこにも現れているように、古代ギリシアやエジプトなどは、外科や植物・食物・入浴などの医療的効能に関して経験的に知識が引き継がれ知られていたものもありますが、治療の内容においては呪術的な要素も非常に強いものでもありました。
 ヒポクラテスの医学では、四体液説などの現在の医学では否定されている考え方などを主軸とはしていますが、当時の医学の中から特に観察と臨床に基づいた医学の部分をより重んじたということで、医学の歴史において近現代医学に通じるひとつの道筋を象徴するものとされています。

 

 そのようなヒポクラテスの有名な言葉に「芸術は長く、命は短い」と訳される格言があります。これはヒポクラテスの『箴言(Aphorismi)』の1-1に載っている言葉であり、ラテン語に訳された Ars longa, vita brevis (アルス・ロンガ、ウィタ・ブレウィス)という言葉で古来より頻繁に引用されてきました。元のギリシア語ではὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ (ホ・ビオス・ブラキュス、ヘー・デ・テクネー・マクレー)になります。

 

 ここで「芸術は長く」の「芸術」と訳されている言葉の部分はラテン語ではarsで、ギリシア語でそれにあたるのはτέχνη(テクネー)です。arsは英語のartの語源であるために「芸術」と訳されることも多いですが、現代の英語の「アート」を意味する「芸術」はいわば美術史的にはルネサンス期のあたり以降の概念だとも言えます。もともとのギリシア語の方のτέχνη(テクネー)が現代の言葉でいうテクニックやテクノロジーなどの単語の部分であるように、そこにはむしろ「技術」という意味があります。
 同時にこのテクネーという言葉は、ギリシア語でτίκτω(ティクトー)が産む、創り出す、といった意味があったり、τέκνον(テクノン)が子供や若い動物などの意味があるように、「産みだす、新しいものを創り出す」という言葉とも意味を共有しています。

 

 また、この「芸術(技術)は長く、命は短い」はそこまでで終わりではなく、ひとまとまりの文章の続きがあります。

 

ὁ βίος βραχὺς, ἡ δὲ τέχνη μακρὴ, ὁ δὲ καιρὸς ὀξὺς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερὴ, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή.
δεῖ δὲ οὐ μόνον ἑωυτὸν παρέχειν τὰ δέοντα ποιεῦντα, ἀλλὰ καὶ τὸν νοσέοντα, καὶ τοὺς παρεόντας, καὶ τὰ ἔξωθεν.

 

 人生は短く、技術は長い、時機は逃しやすく、試みは危うく、判断は難しい。
 自身にとって正しいことを行うだけでなく、病める者、その周囲の者、外部の者にもそうでなければならない。[12]

 

 技術や知識を知り尽くすには人生はあまりに短いものだ、とも、しかしながらそれらの技術は後世に引き継がれ、人間という種全体をひとつの生命体とみなした場合、個人の範疇よりも永く生きることになる、などいろいろな解釈が可能な文脈です。医術に関することとも取れますし、また人生全般に関する箴言とも取れる文言です。

 

古代ギリシア神話と生命観

 医療の歴史は同時に生命に対する考え方の歴史でもあります。生命というものの理解に関するこの時代の思想的源泉のひとつは神話にあります。生命の由来や世界のはじまり、病気や疫病の理由、人が死ぬとどうなるか、などは主に神話で説明されることが多かったと考えられます。
 考え方として、ギリシア神話で言えば、カオスやニュクスなどといったギリシアの神々の名前が挙がり、この世界はその神々によって生まれたことが語られています。カオスやニュクスといった言葉は、外国語の言葉としてはいわゆる自分の外側に位置するような「神の名前」になりますが、もともとのギリシア語にとっては日常の言葉と区別がつかないものです。

 

 ギリシア神話における全てのはじまりの神であるカオスは現代では英語のchaosから混沌と訳され、現象や運動の乱雑さなどを意味しますが、もともとは「大きく開いた穴や口、大地の裂け目」のようなものを意味します。例えば「あくびをする」という動詞のχάσκω(カスコー)にも関連があるように、大きく開いた口は、世界の始まりとしてのビッグバンやインフレーションのようなものを連想させます。

 

 例えば、そのような原初のカオスから、ニュクスやガイアなどが生まれ、ガイアからウラノスが生まれ、ニュクスからヘーメラーが生まれ、などと外国語としての神々の名前が続きますが、これらを日常的なギリシア語の意味にあてはめると、世界の裂け目(カオス)が発生し、そこで夜(ニュクス)や大地(ガイア)が生まれ、大地(ガイア)があることで空(ウラノス)が生まれ、夜(ニュクスがあることで昼(ヘーメラー)が生まれ…と訳すこともできるものです。
 そのようにギリシア神話にはもともとの単語などの意味を考えると特に、古代の世界や生命に対する探求をより見て取ることができます。

 

 

 ギリシア神話とも関連した当時の生命に対する考え方のひとつという意味では、プラトンの「エルの物語(Myth of Er)」もとても興味深い題材です。「エルの物語」はプラトンの『国家』614b-621bにて語られる古代の臨死体験の伝説です。

 

 そこでは、ソクラテスによって人から聞いた話として兵士エルの体験したことが語られます。兵士エルは戦いで戦死して、10日経った後その亡骸が全く腐敗していない状態で見つかり、さらに12日後の葬儀の際に彼の亡骸に火がくべられようとしていました。しかしエルはまさに火葬されようとしたその瞬間に生き返り、人々にあの世で見たことを語りはじめました。
 彼によれば、人は死ぬと魂が肉体から離れ、その魂は他のたくさんの魂たちと一緒に霊(ダイモーン)の領域へと旅立つとのことです。そこでは裁判官たちがそれぞれの魂の判決を行い、善良な魂を天の国へ、悪い魂を地下の国へと送っていました。
 魂たちがそれぞれの魂に応じた世界を体験し終えると、皆は再び集まって旅を続けます。旅の途中で、魂たちは運命の女神であるアナンケーとその娘たちがスピンドル(紡錘)を回し、それが星の中心軸と軌道となってセイレーンたちの歌とともに人々の運命を紡ぎまわしている様子を見ます。
 その後、アナンケーの娘であり同じく運命の女神たち(モイライ)のひとりでもある女神ラケシスが魂たちに「次の人生の見本」をいくつか示し、魂たちに次の人生を選ばせます。
 それぞれの魂が自らの次の人生に何を選ぶかは、その魂の生前の生き方が強く反映されていました。人間の人生について深く考えないで生きてきた者は短略的に権力の強い支配者の人生を選び、その者は転生後にそれを後悔することになります。また逆に、生前に人の苦しみなどを十分に見てきた知識のある者は、次の人生を注意深く慎重に選び、後悔しない来世を選択できるといいます。
 ギリシア神話の英雄たちのなかで、人間の醜さや悲劇などを多く見てきた魂は、人間ではなく動物の人生を選んだりしていました。また逆に、勝利者の名誉という誘惑に勝てなかった者は競技大会で優勝する者を人生を選んだり、または生前に偉大な職人であった者が後世でも同じく職人の人生を選ぶこともありました。
 なかでも、ギリシア神話の英雄のひとりでもあるオデュッセウスは、生前のたくさんの冒険や戦いの苦労があったため、非常に多くの時間を使って、苦労はないが誰からも知られることなく終えるような人生を見つけ出し、その人生を選びとりました。
 次の人生を選び終えると、魂たちは燃える道を通って荒野へ向かい、そこを流れる川の忘却の水を飲むことになります。ここでも自制心のない者はあまりに多くを飲みすぎて、このようなこの世の仕組みを多く忘れてしまうと言います。その後、真夜中に魂たちが眠りにつくと、雷鳴や地震とともに魂たちが流星のように地上に運ばれていきました。
 兵士エルはこの様子を地上の人々に伝えるために、忘却の水を飲むことを禁じられていたので、その全てを覚えたまま地上で再び目を覚ましたと言います。[13]

 

 古代ギリシアの一部では、古代インドなどと同じく輪廻転生の思想がありました。前述の歴史家ヘロドトスなどはその思想の根源をエジプトだとしています。古代ギリシアのピュタゴラスなどは輪廻転生を中心とした思想を持った自らの教団を形成していました。そしてまた、プラトンの著作に現れるソクラテスもまたその輪廻転生の思想が中核となっています。プラトンにもピュタゴラスにも、エジプトに旅立ち、そこで学んだという伝説があります。[14]

 

 「エルの物語」においてギリシアの英雄たちの魂がそれぞれの人生観を反映した来世を選ぶ場面には、プラトンまたは語り手であるソクラテスにおける人間の生と死、人生に対する考え方が色濃く出ています。
 プラトンの対話篇『パイドン』でソクラテスは「正しく哲学を学ぶ者は死について学んでいるのだ。それによって、哲学者たちにとって死は、他の者達よりも恐ろしいものではなくなる。」[15]と、語っています。
 いわゆる哲学者と呼ばれる人たちは、古代から人にとって生とは何か?死とは何か?について多くを考えてきました。ソクラテスは、哲学者の知の探求をそのように定義します。そして、死後に来世を選ぶ際に相対的な「人生の価値」を知っていなければ、来世で正しく良い人生を選べないとします。そのために生きていく上で出会う人生の苦楽のありさまや本当に価値のあるものを知ること、そのような学びが哲学であり、その哲学の知識が人生において何よりも重要なものであると説いています。

 

 生命とは何か、死後自分はどうなるか、などはいわば意識のハードプロブレムと呼ばれるようなものであり、基本的には未解決で未知の世界の領域ではあります。ですが、これはドイツの哲学者ハイデガーの思想にも共通することですが、死という終結点の存在を通して、自分の生命の時間を有意義にデザインしていけること、かつ相対的で核心的な自分自身にとっての価値観のようなものともに生きることは重要な視点であると言えます。

 

注釈

[1] Earliest evidence of dental caries manipulation in the Late Upper Palaeolithic, scienfitic reports, 2015, (https://www.nature.com/articles/srep12150), Early Neolithic tradition of dentistry, Nature 440, 755-756, 2006, (https://www.nature.com/articles/440755a)

[2] Beeswax as Dental Filling on a Neolithic Human Tooth,  PLOS ONE, 2012, (https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0044904

[3] Manfred Reitz:, Steinzeitchirurgie. In: Pharmazeutische Industrie, Band 73, 2011

[4] Neanderthal behaviour, diet, and disease inferred from ancient DNA in dental calculus, Nature 544, 2017, (https://www.nature.com/articles/nature21674)

[5] John Noble Wilford, Lessons in Iceman’s Prehistoric Medicine Kit, The New York Times, 1998,  (https://www.nytimes.com/1998/12/08/science/lessons-in-iceman-s-prehistoric-medicine-kit.html)

[6]Claudia Bignion, Steinzeitmedizin: Was unsere Urväter schon beherrschten und wie es heute gemacht wird, FUTURA,2021, (https://www.futura-sciences.com/de/steinzeitmedizin-was-unsere-urvaeter-schon-beherrschten-und-wie-es-heute-gemacht-wird_6554/)

[7] 大浜宏文『植物療法と予防医学 -古代からゲーテへ-』1999, The Oldest Medical Books in the World, WRF, (https://www.wrf.org/medicine-history/the-oldest-medical-books-in-the-world)

[8] 原典のギリシア語では、このエジプトの生薬(φάρμακον)について、「痛みを消すもの(νηπενθής)」というギリシア語で表現されています。このνηπενθήςという言葉は、英語のnepenthesであり、今は食虫植物のウツボカズラを意味する言葉です。ウツボカズラ自体は特に古来から鎮痛作用などが有名な植物ではないですので、この言葉がさすものはもともとは何か他のアヘンのような植物からの抽出した成分であったと言われています。

[9] Homer, Odyssey, Book 4,220-233

[10] Herodotus, The Histories, Book 2, 37

[11] Herodotus, The Histories, Book 2, 82-84

[12] Hippocrates, Aphorismi, 1-1

[13] Plato, Republic, 614b-621b

[14] 加藤守通『ピュタゴラス主義とは何か <シンポジウム ハルモニアの思想史における音楽と人間形成 コメント論文>』、2020

[15] Plato, Phaedo, 67e

山川 淳生

(株)日本クアオルト研究所・研究員
2011年多摩美術大学卒業、2013年成城大学大学院修了、2016年成城大学大学院博士課程後期単位取得満期退学、2016-2020年首都大学東京(現:東京都立大学)非常勤講師
研究論文等:研究ノート『ルドルフ・シュタイナーの神話・寓話観から』『古代思想は何処へ行ったのか』『ゲーテと占星術、想像力とポエジー』紀要論文『ゲーテの『秘儀』とその探求、及びシュタイナーの解釈』など