COLUMNPosted on 2021/12/16

ドイツ・クアオルトの起源と歴史 Part.3

古代ギリシアのクアオルト、アスクレペイオン

 

 前回まで、先史時代やネアンデルタール人の痕跡などをもとに、ドイツ・クアオルトについて考えてきました。今回からは、いわゆるなんらかの形で歴史に記されているような時代、有史以降の時代について考えていきたいと思います。

 

 クアオルトの特徴として、天然泉を利用した健康施設は街づくりにおける一番中心にあるコンセプトですが、このような水を用いた施設に関して古く遡ると、例えば古代メソポタミアやインダス文明の「水の設備」などが有名なところです。
 古代メソポタミアに関しては、現在のシリア、マリにある遺跡からは、紀元前4500年頃の王族用の豪華な浴槽が発掘されており、また古代インダス文明においては、有名なモヘンジョ・ダロなどの紀元前3000年頃の下水道設備などが発見されています。(*1)
 ヨーロッパでは、古代ローマが街づくりにおいて重視した温泉文化が特に有名であり、ドイツ・クアオルトの歴史もまた、クアオルトの街になる歴史の一番の発端としては、古代ローマによるドイツ領域の都市開発から始まっています。
 古代ローマによるドイツ領域への遠征の際に、皇帝や兵士たちが疲れを癒すと同時に体を清潔に保つことで伝染病などの発生を抑えることが、遠征先のゲルマン領域に温泉街開発を行った目的でした。治療用温泉街の開発を通して、今後の戦いや領土を広げるような軍事行動に際して、常に万全を期していたのです。

 

 しかし同時にそのような温泉文化において、古代ローマは古代ギリシアの文化の影響を大いに受けています。そしてさらには、その古代ギリシアの文化は、前述のメソポタミアやインド、エジプトなど当時の近隣文化圏とも言える周辺領域から相互に影響されていることになります。
 例えば、ギリシアのクレタ島にある紀元前1500年頃の遺跡であるクノッソスからは、当時の水道管や下水道、そして浴槽などが発掘されており、同じくクレタ島にあるイラクリオン考古学博物館(Heraklion Archaeological Museum)に所蔵されています。(*2)
このような時代から、すでに入浴用のための設備などが完備されていたということです。

 

巡礼の地アスクレペイオン

 

 なかでも特徴的な場所として、古代ギリシアには各地に「アスクレペイオン」と呼ばれる治療院がありました。アスクレイペイオンは、ギリシア神話における医療の神であるアスクレピオスの場所という意味です。遺跡として古くは紀元前5世紀頃のものから確認されており、当時のギリシア文化圏において300-400箇所ほどの当時のアスクレペイオンがあったとされています。

 

 アスクレペイオンが存在した有名なところとしては、世界遺産でもあるギリシアのエピダウロス、医学の父とも言われるヒポクラテスの生誕の地コス島、アポロンの神託所で有名なデルポイ、同じく古代ギリシアの聖地であったエフェソス(現在のトルコ・イズミル)、現代でも温泉で有名なシチリア島のヒメラ(現在のイタリア・ブオンフォルネッロ周辺)などがあります。また、当時の同一文化圏のものとして、アルジェリア、リビア、チュニジア、エジプト北部などの地中海沿岸領域の国々にもアスクレペイオンが見受けられ、その影響力の強さを知ることができます。

 

 このアスクレペイオンには当時、自らの病を治し健康を祈願するためにたくさんの巡礼者たちが訪れていました。アスクレペイオンはいわゆる古代の医学校の起源ともみなされており、水治療法・入浴療法、薬学・薬草学、食事療法、精神療法などが実践されていました。
 もっとも基本的なアスクレペイオンでの治療としては、そこへ巡礼した人はまずアスクレペイオンの聖なるの泉で沐浴や飲泉などをした後、聖なる呪文の祝詞をあげられることで体を清め、聖なる神殿(αβατον:アバトン、またはεγκοιμητηριον : エンコイメーテーリオン)(*3) で睡眠をとる、という治療の形がとられていました。この聖なる神殿での睡眠には、それ自体がアスクレピオスの力による治療としての効果もありますが、同時にそこで見た夢をもとに病の原因や適切な処置を知るための「診察」としての夢解きの要素もありました。そういった「診察」ののち、アスクレペイオン内の施設で続けて治療の処置がなされることもありました。
 また、この地で治療を受けるために聖なる神殿に入るにはいくつかの条件があり、治療を受けるまでの3日間は、豚肉や豆を食べること、性的交渉、髭剃りなどが禁じられていたといった例もあります。また巡礼者は神殿での治療への謝礼としてお金を払ったり、馬や家畜を捧げるといったことで代価を支払っていました。

 

 アスクレペイオンには、すでに述べましたように清めの泉や神殿のほか、この地が巡礼先であったために巡礼者向けの宿と食事を提供する宿泊施設(καταγωγιον:カタゴーギオン)なども存在していました。ほかにも公衆浴場、図書館、競技場、運動場、野外劇場といった娯楽施設もあり演劇はもちろん、スポーツや音楽の祭典なども行われていたといわれています。
 加えて、中央管理棟(πρυτανειον:プリュタネイオン)(*4) 、アスクレピオスの象徴である聖なる蛇(*5)の飼育所、そして外部には区切られた場所として、これから臨終を迎える者のための場所と生まれる者の地である分娩室などがある「生と死の場所」が置かれていました。(*6)
 古代ギリシアの旅行作家・地理学者であったパウサニアスは、エピダウロスのアスクレペイオンについて「アスクレペイオンの聖なる森は、周囲を区切り石(ορος : ホロス)で囲まれていた」(*7)と述べています。アスクレペイオンには、そのようにその場所を聖地たらしめる「聖なる森(ιερον αλσος:ヒエロン・アルソス)」がありました。

 

 このような施設などを見ていくときに特徴的なのは、施設の在り方がドイツ・クアオルトとも共通しているということです。もちろん、アスクレペイオンの医療は呪術的な要素も強く、古代と現代とでは医療や思想の在り方などが全く違いますが、街づくりのモデルなどには共通する部分があります。

 

 

森という聖地

 

 アスクレペイオンの神聖な「森」「治療の泉」「中央管理棟(プリュタネイオン)」という組み合わせは、クアオルトの「クアパーク(森・庭園・公園)」「ハイルクヴェレン(治療用天然泉)」「クアハウス」といったクアオルトの認定に必須にもなっている3要素との大きな共通点を感じます。

 

 なかでもこのアスクレペイオンの「森」に関しては特筆すべきものがあります。アスクレペイオンで中心的に祀られた神であるアスクレピオスのみならず、ギリシアには全土にアポロン、ゼウス、アプロディーテーなどそれぞれのギリシアの神々の「聖地」がありました。それはちょうど、日本中の様々な神社で神々が祀られており、様々なご利益や由来があることと似ています。そしてそのような神々の聖域は、ギリシア語ではテメノス(τεμενος)と呼ばれていました。このテメノスという言葉は「切る」という意味のあるテムノー(τεμνω)から派生しています。(*8)
 つまり、聖地とはすなわち「区切られた場所」という意味になります。そして、そこで何が区切られているのかと言えば「聖と俗」です。古代ギリシアの「森」は、そのような民俗学的なテメノス=区切るものの役割を持っていました。それゆえに、森の外部が人間たちの俗世であるのに対して、森の内部は神々の力が強い聖地だったのです。

 

 このようなギリシアの聖地の感覚は日本人にとって一部身近に感じられるようなものがあるのではないかと思います。というのも古代ギリシアの宗教と日本の神道とは古代の自然崇拝、有史以前のシャーマニズム的な文化において共通しており、そのためにちょうどこのアスクレペイオンの聖なる森の在り方が、日本の神社の在り方とも似ているのです。
 さらに、古代ゲルマンの「森という聖地」の在り方もまた、これらと全く同じような構造をもっています。ここでもやはり、古代の自然崇拝、シャーマニズム的な文化というものがこれら3つの文化の共通点です。(古代の自然崇拝、シャーマニズムに関しては、古代の文献なども用いつつ、次回以降でも見ていきたいと思っています)

 

 ドイツのクアオルト、ギリシアのアスクレペイオン、そして日本の神社などには、特にこの「森の聖域」というキーワードにおいて、最も古い歴史文化段階において根底に流れているものが共通しているということができるわけです。

 

 また同時に、この聖なる森には湧き水があり、そのような地理的条件に恵まれた場所がアスクレペイオンにふさわしい場として開発がなされ、その泉は体の清めや治療のための入浴用泉、または飲用泉として用いられました。現代のドイツ・クアオルトでも同様に天然泉のミネラル成分の効能や海のクアオルトの場合にはエアロゾルの海水蒸気吸引などにより健康促進がなされます。
 アスクレペイオンの泉の利用は、いわゆるクアオルトの医学的効果の世界とは全く違う文脈のものですが、根底に共通の伝統的文化がやはり見受けられます。日本でも、神社で参拝する際には、身を清めるために手水で手を洗ったり、すすいだりする事も同様だと言えるでしょう。

 

 

 クアオルトの一番の特徴はそこでの滞在が保険適用にもなるリハビリ医療や天然泉を用いた施設などですが、ほかの大きな特徴のひとつに、そこが観光地でもあるということもあげられます。これもまた、アスクレペイオンとクアオルトの大きな共通点だと言えます。
 前述のように、アスクレペイオンは遠くからも人が多数やってくる巡礼地でもありました。そのために、それを利用した商売、長期滞在者用の娯楽のために、宿泊施設、劇場、運動場、図書館などの施設がありました。
 ドイツ・クアオルトも同じく、「医療の場」であると同時にそこを「観光・文化の場」としても活用しています。ドイツ・クアオルトでは劇場、コンサートホール、ギャラリー、ミュージアム、などが街の中に見受けられることが多く、世界遺産でもあるバーデン・バーデンの古代ローマ遺跡やバート・キッシンゲンのユーゲントシュティール建築の街並み、「アート・コロニー」としてはじまった芸術家の街でもあるクアオルトのアーレンスホープなど、そういった文化的特徴を持ったクアオルトは多数あります。ほかにも、南ドイツのアルプスやシュヴァルツヴァルトでの高地や森林のウォーキングやサイクリングなどのアクティビティなど、クアオルトの自然活用という文脈を利用した観光文化活動も盛んです。このように、健康、環境保全、観光、文化芸術、経済活動の全体を通して、そしてそれらが相互に交差し連関して、クアオルトに関わる人に利益がもたらされる合理的なシステムを持っています。
 もちろん、古代と現代では時代が全く違うため、そこで行われていることには大きな違いがあります。しかしこの古代ギリシア医学から中世の医学へと、そしてそこから東西交流などを経て近代に現在の医学の方法論が確立し、そこから今日の医療・医学があるように、この古代ギリシアの医学はひとつの文化的原点となっています。
 都市活用・街づくりの観点でも、医療を中心としてそこに加えてほかの産業や文化とも交差し相互に補助し合う街づくりの萌芽がこの古代ギリシアでも既に見られることになります。

 

 

 


(*1)ウラディミール・クリチェフ『世界温泉文化史』種村季弘、高木万里子訳、国文社、1994、40-41頁
(*2)同書 46頁。
(*3)ἄβατον : アバトン は「入ることのできない場所、禁域」を意味し、εγκοιμητήριονまたはενκοιμητήριον : エンコイメーテーリオンは、「眠る場所」という意味があります。このεγκοιμητήριονはεγ(エン)+κοιμητήριον(コイメーテーリオン)でできており、εγ(εν)は英語のinのようなもので、後ろのκοιμητήριονにκοιμάω(コイマオー)「眠りにつく」という動詞からできた「眠る場所」の意味があります。この眠る場所という意味からκοιμητήριον(コイメーテーリオン)は「墓場」という意味もあります。それはラテン語ではcoemeterium(コエメテリウム)という言葉になりますが、これは英語のcemetery「お墓」の語源になっています。
(*4)アスクレペイオンの「中央管理棟」であるプリュタネイオンは「一番最初、一番前」などを意味するπρῶτος(プロートス)からきている言葉で、街の中心、議会堂、会議室などを意味します。アスクレペイオンにおけるプリュタネイオンでは、儀式のために使われる動物を飼育する場でもあり、また聖地全体の中央管理施設としての役割がありました。
(*5)ギリシア神話では医療の神アスクレピオスのシンボルとして、蛇がまきついた杖を持った姿で描かれています。そのため、現在のWHOのロゴマークなどを含め、世界の医療機関でもそのアスクレピオスの杖のモチーフをロゴマークとして使っているものは多いです。
(*6)同書 48-86頁、マイヤー・シュタイネック・ズートホフ『図説医学史』朝倉書店、1982、26-29頁、大沢忍『医学発祥の地エピダウルス−アスクレピウス−』、山川廣司『古代ギリシアのエピダウロス巡礼−アスクレピオスの治療祭儀−』などを参考。
(*7)Pausanias, Description of Greece, Book2-27-1
(*8)ある意味ではテメノス「切られたもの」とは逆に、「切れないもの」という言葉では否定接辞(ἄ)をつけてアトモス(ἄτομος)になりますが、こちらは原子(atom)という言葉になります。

山川 淳生

(株)日本クアオルト研究所・研究員
2011年多摩美術大学卒業、2013年成城大学大学院修了、2016年成城大学大学院博士課程後期単位取得満期退学、2016-2020年首都大学東京(現:東京都立大学)非常勤講師
研究論文等:研究ノート『ルドルフ・シュタイナーの神話・寓話観から』『古代思想は何処へ行ったのか』『ゲーテと占星術、想像力とポエジー』紀要論文『ゲーテの『秘儀』とその探求、及びシュタイナーの解釈』など