COLUMNPosted on 2021/10/26

ドイツ・クアオルトの起源と歴史 Part.1

 ドイツ・クアオルトは予防療法やリハビリに医療保険が適応される健康保養地です。そこでは、事前・事後の医療に加えて、自然環境保護・観光・文化・芸術など、様々な要素や経済活動などが連携し、ひとつのシステムをつくりあげられていることが特徴です。

 

 では、そのようなクアオルトの成立にはどのような歴史があり、その起源はどこにあるのでしょうか?
 前述のように、クアオルトが持つ最も大きな特徴のひとつは、医療保険が適応されるというところにあります。それはすなわち、ドイツで医療保険制度がつくられ、そこにクアオルトの医療が健康保険の対象となった時が、クアオルトのひとつの起源ということでもあります。

 

 ドイツの医療保険制度の歴史として、ドイツでは1883年6月に首相ビスマルクによって疾病保険法(Krankenversicherungsgesetz)が成立し、それは世界で最初の国家的な社会保険立法となりました。
 加えてその当時のドイツでは、水や天然泉のミネラル成分の治療力を用いた、いわゆる現代日本でいう「湯治」のような医療がさかんで人気もあり、そのような時代性の影響と当時の医師たちや経営者たちの尽力により、クアオルトでの療養にも医療保険が適応されることとなりました。

 


 この時代の湯治に関して言えば、例えばドイツ文学における代表的な作家であるゲーテは、36歳頃から晩年近い74歳頃に至るまで、病の治療のためにその時代のドイツ各地(当時のドイツ文化圏には現代のチェコなどの領域も含まれます。)の湯治場を頻繁に訪れています。
 ゲーテは、主に現代でもドイツでクアオルトとして認定されているバート・ピュルモントやヴィースバーデン、および現代のチェコにあるカルロヴィ・ヴァリ(当時のカールスバート)やマリアーンスケー・ラーズニェ(当時のマリエンバート)などを頻繁に訪れました。特にゲーテの作品『マリエンバートの悲歌』などでも有名です。また、この湯治のための旅行は、そのように彼の執筆の原動力となった他に、各地の地質学研究や要人との会合なども兼ねたものでした。(*1)

 


 他にも、現代ドイツの代表的なクアオルトのひとつであるバート・ヴェリスホーフェンの街づくりと、「クナイプ(Kneipp)」の商品や「クナイプ療法」で有名なセバスティアン・クナイプ神父が、自身の肺結核を水治療によって治したその治療法について述べた著作である『私の水治療(Meine Wasserkur)』が、1886年には出版されてベストセラーとなり、クアオルトの成立におけるひとつの大きな潮流をつくりだしていました。(*2)

 

 このように当時のドイツでは、現代のクアオルトで行われているような、水やミネラル、良質な自然環境などを用いた医療は、すでに長い歴史的伝統と多くの医療従事者たちによる研究がなされてきた分野であったのです。
 そのような時代を背景に、1892年の4月23日にライプツィヒで「全ドイツ温泉記念日の設立(Constituierung eines Allgemeinen Deutschen Bädertages)」のための会合が開かれ、そこには湯治を専門とする医師たちとリゾート地の経営者たちが集まりました。その後この会合は定期的に開かれるようになり、同年の10月には最初の公式の年度会合が開かれ、それをきっかけとして現在、ドイツ国内のクアオルトの品質・定義・条件などを定めているドイツ治療湯治場連盟(Deutscher Heilbädeverband e.V.)が発足しました。 (*3)
 このドイツ治療湯治場連盟の発足もまた、現代ドイツの医療システムとしてのクアオルトの、非常の存在感の大きな起源のひとつだと言うことができます。

 

 このように、主に19世紀と20世紀の境目の時代に行われた、国家的な医療保険制度の成立と、医療保険の対象となるためのクアオルトの品質や基準を定義する連盟の成立。それらこそがクアオルトの大きな起源となっている要素たちです。
 ですがもちろん、起源とはいってもそのどちらも、そこに至るまでには古代からのドイツにおける長い歴史と文化の伝統、クアオルトの前身と言えるようなものたちがたくさん存在しており、その発想と構造が一朝一夕に成立したようなものではありません。

 


 例えば、このビスマルクによる世界で最初の社会保障制度に関して言えば、少なくともドイツでは中世から、特定の産業・職人たちの連合であるツンフト(ギルド)において「共済金庫(Unterstützungskasse)」の伝統が根付いており、そこからの発展の制度であると言うことができます。ツンフトの共済金庫制度は、ツンフト内では職人技術の保存や労働基準、共同体の利益などを守るための法を厳守しなければならない代わりに、構成員たちに疾病・災害・事故などの被害が生じた場合、相互に扶助し合うシステムです。そこにはこの国家的な社会保障制度のひとつの源流を見ることができます。 (*4)

 


 そしてまた、ゲーテやクナイプの湯治・水治療などにも、上述の社会保障制度に至る歴史のように、そこに至るまでのドイツには長い伝統が存在しています。
 それはすなわち、旧石器時代の「湧き水」を中心とした集落遺跡からはじまり、古代ローマの皇帝や兵士たちが遠征先で疲れを癒し、同時に戦いにおいて万全を期すための「温泉街」として発展した街の歴史にもつながりました。時にはその街の発展の中心にあった泉の持つ効能から「治療の奇跡譚」の伝説なども生まれました。そしてそれが中世などになると医学や地質学・鉱物学などの見地からドイツ各地の伝説的な「病を治す奇跡の泉」のミネラル成分の成分分析、および建築学の発達にも伴った泉と街の整備なども行われていきます。そして、近代になりそれがさらに発展させられ、ここまで見てきました19世紀末のクアオルトの成立に至ります。
 このようにクアオルトは、ドイツにおける各種文化的要素、および長い歴史と伝統をその背景としているのです。

 

 今回はクアオルトの歴史の導入として、現代のドイツ・クアオルトの成立における、特に国の制度としての大きなきっかけ・起源となっている部分を軽く見ていきました。
 以降このコラムの連載で、現代のドイツ・クアオルトの起源と成立に至る歴史として、そのようなドイツ文化における「病を治す泉」の歴史と、それに関連のある文化的諸要素たちを古代から近代へと時代を追って順次、見ていくことにしていきたいと思います。

 

ドイツ治療湯治場連盟(Deutscher Heilbädeverband e.V.)のホームページ内における、クアオルトで適応される医療保険に関する説明図 (https://www.deutscher-heilbaederverband.de/die-kur/kurantrag/)より。疾病保険法(Gesetzliche Krankenversicherung : GKV)またはドイツ年金保険(Deutsche Rentenversicherung : DRV)の適用により、外来の予防医療(ambulante Vorsorgeleistung Kur)、(部分的な)入院の予防医療(teil- stationäre Vorsorgelesitung Kur)、親子相互治療(Mutter-/Vater-Kind- Maßnahme)、外来リハビリテーション(ambulante Rehabilitaion)、(部分的)入院リハビリテーション(teil- stationäre Rehabilitation)、フォローアップ治療(Anschlussheilbehandlung : AHB)などに主に保険適応がなされることが示されている。
 


(*1)Wolfgang Nahrstedt, “Wellness im Kurort” : Neue Qualität für den Gesundheitstourismus in Europa?!, S.38
(*2)Joachim Früchte, Neue Deutsche Biographie, Bd.12 S.174f. , または https://de.wikipedia.org/wiki/Sebastian_Kneipp より。
(*3)https://www.deutscher-heilbaederverband.de/der-verband/ueber-uns/
(*4)土田武史『救済文庫とプロイセン一般ラント法 ービスマルク疾病保険の原型創出過程ー』

山川 淳生

(株)日本クアオルト研究所・研究員
2011年多摩美術大学卒業、2013年成城大学大学院修了、2016年成城大学大学院博士課程後期単位取得満期退学、2016-2020年首都大学東京(現:東京都立大学)非常勤講師
研究論文等:研究ノート『ルドルフ・シュタイナーの神話・寓話観から』『古代思想は何処へ行ったのか』『ゲーテと占星術、想像力とポエジー』紀要論文『ゲーテの『秘儀』とその探求、及びシュタイナーの解釈』など