先史時代の人類と温泉・福祉・芸術
今回から、ドイツ・クアオルトの土地たちの歴史を古い順から見ていきたいと思います。その歴史を可能性のある限り最も古いところまで遡ると、近代、中世、古代、さらにその先の鉄器時代、青銅器時代、石器時代など、文献や石碑に言葉で残された歴史以前の世界、先史時代にまで至ることができます。
ドイツでクアオルトの認定を受けている都市にはそういった先史時代の遺跡が残っている街が多数見受けられます。
例えば、世界的に有名なドイツの都市のひとつであると同時に、代表的なクアオルトでもあるバーデン・バーデンの街を流れるオース川の沿岸領域にあるオース峡谷(Oostals)には、およそ紀元前一万年頃にはすでにそこに人類が定住し生活していた痕跡がみつかっています。(*1)
バーデン・バーデンは、ドイツのなかでも最もクアオルトの数が多い州であるバーデン・ヴュルッテンベルク州に属していますが、州内で今まで見つかっているなかでも最も古い人間の痕跡として、ハイデルベルク近郊のマウアー(Mauer)の採砂場で見つかった、通称「マウアーの下顎(Unterkiefer von Mauer)」とよばれる人間の骨の化石があります。
マウアーで見つかったその人間の下顎部分の化石は、科学的分析によって約60万年前の人類のものであることがわかりました。すなわち、このハイデルベルクの周辺にはすでに60万年前には人類が生活していたことになります。(*2)
そのように非常に古い人類の痕跡が見つかっているこのドイツ・クアオルトの地域ですが、加えて別の領域で、クアオルトの大きな特徴のひとつである「天然温泉・湧き水」に関連した非常に興味深い考古学の研究・調査結果があるので、それも紹介したいと思います。
マサチューセッツ工科大学のAinara Sistiaga氏らの研究によれば、タンザニアのオルドゥヴァイ峡谷(Olduvai Gorge)の地層で見つかったサンプルを分析したところ、いわゆる天然温泉のような高い温度の場所にみられるはずの好熱性の細菌の痕跡がみつかったとのことです。
そのために、現在ではもうすでに乾いた土地であるこの場所に、かつての170万年前には天然温泉が湧いていたことが明らかになりました。
そして同時にこの温泉の痕跡を中心として周囲に人類の生活の痕跡があったことから、「170万年前の古代の人類が、かつての天然温泉の付近に定住していた」ということ、そしてさらに「人類は火を使うよりも早くから、温泉の湯で食料を茹でて食べることを知っていたのではないか」といった最古の人類たちの歴史に関する新たな可能性が提唱されました。(*3)
こういった研究を読んでいると、前述のように天然の湧き水が特徴的なドイツ・クアオルトにも同じくそういった先史時代の遺跡が点在していることから、このタンザニアのオルドゥヴァイ峡谷のようにドイツでも文献に残っている以上の古い時代から天然温泉の湧き水を利用した生活というのはすでにあったのではないかとすら思ってしまうところです。
ここで加えて、同じくドイツ領域の先史時代の人類であるネアンデルタール人についても触れておきたいと思います。
ネアンデルタール人は、ドイツのデュッセルドルフ近郊にあるネアンデル谷(ドイツ語で谷はTal:タールなので、ネアンデルタールとはまさにネアンデル谷のことを意味します)で1856年にはじめて痕跡が見つかった先史時代の人類です。前述のハイデルベルク近郊で発掘された60万年前の人類、通称ホモ・ハイデルベルゲンシスから分岐した人類の種であり、いまから40万年から80万年前には現在の人類から分岐し、約4万年前ほどに絶滅したと言われています。(*4)
基本的にネアンデルタール人は、現在の私たち人類とは別系統の人類だと言われていますが、同時に私たちのゲノム内にもネアンデルタール人のDNAが数パーセント入っているという説もまた存在しています。(*5)
そのようなネアンデルタール人たちが持っている大きな特徴として、埋葬・福祉・芸術などの文化的習慣を持っていたということがあります。
例えば、フランス中部にあるラ・シャペル・オー・サン(La Chapelle-aux-Saints)にある発掘現場では、1908年にネアンデルタール人の骨の化石が発掘されましたが、その状態から当時の学者たちによってこれらの遺体は他者によって意図的に埋葬されたものなのではないか、という推測がなされていました。
そしてそこから100年以上経った2013年には、古生物学の研究チームによって骨が本当に意図的に埋葬されたものであり、同時にネアンデルタール人たちにはそういった埋葬の文化があったということが研究によって証明されました。
加えて、その発掘されたネアンデルタール人たちの化石なかには、病気で手を失っているにも関わらず長寿で亡くなっていたことがわかる遺体も確認されています。つまりそれは、自ら狩猟・採集を行って食料を得る能力がない、または劣っているにも関わらず、当時でいうところの長寿にあたる年まで生き延びることができたということであり、その者には食料や生活に関して周囲からの補助・援助があったということを示しています。(*6)
ネアンデルタール人たちはそのように、原始的な生存競争においては本来は淘汰されてしまうはずのハンディキャップを持った者や病人・老人たちにも補助・援助をしたり食料を分け与えて暮らしていたわけです。
前回、クアオルトの制度に至る社会保障システムとして、ビスマルクによる世界初の社会保障制度の前身として、中世の職人ギルドにおける「共済金庫」すなわちギルドのメンバーが何らかの災害・疾病・障害などを被った場合、ギルド内の資金でそれに対する保障がなされる助け合いのシステムについて言及しました。そういったシステムのより根源的な「福祉」の思想を、このネアンデルタール人の習慣の中にも見ることができます。
ドイツ・クアオルトも共存共栄のための健康・福祉・環境に関して合理性を重視してつくられたシステムですが、現代の人々が「原始時代」と言われて想像する人たちの世界の中にも、そこにつながるものが存在していたということは驚きに値することでしょう。
これもある意味では同じく福祉のひとつの形なのかもしれませんが、前述のようにネアンデルタール人たちは埋葬の習慣を持っていました。
これに関してはまず一つ目に、「食人行為」があったかどうかの議論にも結び付けられています。骨の化石のなかに解体や切断・骨の粉砕などの形跡があったことから、ネアンデルタール人たちが人肉を食べていたという説がありますが、それに対して、これは埋葬の際に肉を削ぎ落としたり解体したりする儀式によるものであったという説もあります。(*7)
いずれにしても、彼らはそのように、ただ単に遺体を埋葬していただけでなく、その埋葬の際にはなんらかの儀礼を行っていたのだとされています。埋葬された骨たちの発掘現場から大量の花粉の痕跡がみつかったことから、諸説はありますが埋葬の際には花や薬草を添えて死者を弔う習慣があったことなどが推測されています。(*8)
この事実はまた、彼らには芸術表現というものがあったということでもあります。実際に、ネアンデルタール人たちはヨーロッパ各地の洞窟壁画でたくさんの芸術表現を残していますが、このような葬儀における儀礼や花や草を添えて埋葬する習慣などもまた、仲間の死に対する思いがあってそれをなんらかの形で表現したい、または現代的な言い方をするなら追悼したいという感覚を発露した芸術表現だと言えるでしょう。(*9)
以上のように、ネアンデルタール人たちには自分と他者を同じとみなすことができる「仲間」という認識や「死」の認識があったということがわかります。その中で「仲間」の「死」を認識し同時に未来における自分自身の死も認識していたのかもしれません。
そして、こういった認識が、ひとびとのなかに「福祉」の感覚の萌芽のようなものをもたらしたのかもしれません。
リハビリや予防医学、自然治癒力強化などに比重が強いドイツ・クアオルトにおける福祉のあり方から得られるひとつの理想は、ただ数字的に長生きするという以上に体を動かしたり運動・活動をしたりと肉体・精神においても健康に生きるということにあります。
人は他者の死を身近に経験することで、自身の有限な生のあり方も以前とは違う視点で考えるようになっていきます。そのような途上で、こういった考え方は自然に出てくる発想なのかもしれません。
ネアンデルタール人たちのこういった文化もまた、死という概念の認識からはじまって、ひとつの文化概念的ミームのようなものとして、後世の文化に大きな影響を与えていることでしょう。
(*1)Gesamtfortschreibung Flächennutzungsplan Baden-Baden : https://www.baden-baden.de/mam/files/stadt/planung/flaechennutzung/fnp_2025_begr__ndung.pdf
バーデン・バーデン、オース峡谷ウォーキングコース (Oostal-Rundweg):https://www.baden-baden.com/media/touren/oostal-rundweg#/article/cdfe9c4b-20fe-4cb2-a9a7-7035e6da07e1
(*2)Homo heidelbergensis von Mauer e.V. : https://homoheidelbergensis.de/
(*3)Ainara Sistiaga : Microbial biomarkers reveal a hydrothermally active landscape at Olduvai Gorge at the dawn of the Acheulean, 1.7 Ma : https://www.pnas.org/content/117/40/24720
(*4)Thomas Higham : European Middle and Upper Palaeolithic radiocarbon dates are often older than they look: problems with previous dates and some remedies : https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/abs/european-middle-and-upper-palaeolithic-radiocarbon-dates-are-often-older-than-they-look-problems-with-previous-dates-and-some-remedies/9AE28C1FDFE6D6F7955EDA140B10965B,
Aida Gómez-Robles : Dental evolutionary rates and its implications for the Neanderthal–modern human divergence : https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6520022/
(*5)Kathy Wren : Researchers Sequence Neandertal Genome, Casting New Light on Human History and Identity : https://www.aaas.org/news/science-researchers-sequence-neandertal-genome-casting-new-light-human-history-and-identity
(*6)William Rendu : Evidence supporting an intentional Neandertal burial at La Chapelle-aux-Saints : https://www.pnas.org/content/early/2013/12/12/1316780110,
ネアンデルタール人の埋葬をあらためて確認:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/8645/,
佐倉朔「死の認識と葬儀の発生」:http://anthro.zool.kyoto-u.ac.jp/evo_anth/evo_anth/symp0006/sakura.html
(*7)Maryléne Patou-Mathis : Neanderthal Subsistence Behaviours in Europe : http://citeseerx.ist.psu.edu/viewdoc/download?doi=10.1.1.1043.579&rep=rep1&type=pdf, ネアンデルタール人が食人、ベルギーの洞窟遺跡から証拠:https://www.afpbb.com/articles/-/3113052
(*8)Emma Pomeroy : New Neanderthal remains associated with the ‘flower burial’ at Shanidar Cave : https://www.cambridge.org/core/journals/antiquity/article/new-neanderthal-remains-associated-with-the-flower-burial-at-shanidar-cave/E7E94F650FF5488680829048FA72E32A
堀内みどり「死者と生者の間に②」:https://www.tenri-u.ac.jp/topics/oyaken/q3tncs00000gbigk-att/q3tncs00000gbj3g.pdf
(*9)ネアンデルタール人は美術作品を作っていた : https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-43165670
(株)日本クアオルト研究所・研究員
2011年多摩美術大学卒業、2013年成城大学大学院修了、2016年成城大学大学院博士課程後期単位取得満期退学、2016-2020年首都大学東京(現:東京都立大学)非常勤講師
研究論文等:研究ノート『ルドルフ・シュタイナーの神話・寓話観から』『古代思想は何処へ行ったのか』『ゲーテと占星術、想像力とポエジー』紀要論文『ゲーテの『秘儀』とその探求、及びシュタイナーの解釈』など